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今日は、そんなような質問を受けました。
いや、こんな雑な質問ではなくてちゃんと文脈があるのです。
もにまるずヒストリーも一通りご覧になった上での質問で
「こうなりたいとか、悔しさとか、そういう色々な気持ちがあったかと思いますが、これだけ大変なものを作る原動力はなんですか。どうして作ろうと思うんですか」というような事を聞かれました。
根本的すぎて上手く答えることはできなかったと思うのですが、帰り道もずっと考えていました。
一応の結論めいたものは出しました。
「作る行為、それ自体が好きだから」
作品を完成させる以前に、作る行為ひとつひとつが好きで、それを向上させていくことが好きなのでしょう。(質問の意図はこういうことじゃないと思うけど)
このこと、一度ブログに書きましたが、今のところやっぱり同じ考えです。
作る行為、それ自体が好き。
紙を切る、それもなるべく綺麗に。
筆で色を塗る、なるべく均一な線を、面を。
粘土で形をつくる、できるだけ思っている形に。
「いい作品を作りたい」これは違うレベルの話です。いい作品を作りたい、という気持ちはありますし、大事です。でも、もっと根本的なところ。
「こういうメッセージを伝えたい」「こういう世の中になってほしい」そういう次元ではなくて、ほんとのほんとの根元では、手を動かすことが楽しくて、形になることが嬉しいのでしょう。
出来上がったものに対して「下手だな」ってへこんだりもするけれど、それは結果だから別の話。
さらにつきつめて考えてみると、作っている最中は、「作っている、今」に集中している。それが、いいのです。
作っている「今」は何も考えることはできないし、それが好きだし、救われてきた部分もあります。
嫌なこともツラい時も、粘度で形を作り上げている瞬間は忘れることができるのです。
形が決まったとたんに思い出して「はぁ〜」って落ちるんですけど。
同じように何か嬉しいことがあっても、その気持ちも忘れて作っています。
作っている瞬間は全てを忘れます。作っているときに自分の名前なんて考えません。
何県に住んでいるか、もにまるずを作っているとか、これはどこに納品するんだとか、作っているその瞬間は全てを忘れます。
何者でも無くなって、作っている「今」が好きなのでしょう。禅みたいな話になってしまった。
でも、そうなんです。
もちろん、意図をもって作られたものに限ります。
ただ粘土をこねたりするだけでは意図も方向性もないので「作っている」とは言えないし集中しないので「作っている、今」になることはできません。
意図をもって形をつくる行為、今の積み重ね、それが作品になっていくのだなと思ったわけであります。
そして、作らないと作品はできません。(当たり前!)
考えることは大事でも、いくら考えても、形がなければ誰も見れないの!!触れないの!!伝わらないの!!!!
さっさと、作れ!!(自分にむけて)

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