2017年6月25日日曜日

2011年4月 もにまる工房がはじまった

今は6月。ちょっと暖かくなってきて、夏の訪れを感じるこのくらいの季節になると、もにまるずを作り始めた頃のことや、もにまる工房を始めた頃のことを思い出す。

2012年 もにまる工房

もにまるず(当時の作品名は100ANIMALS)を作りはじめたのは、武蔵野美術大学に入学してすぐの2007年の5月か6月だった。そのときは18歳で、今は28歳。そこから数えて満10年が経った。

在学中の4年間「もにまるず」を作り続け、2011年3月に武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科を卒業した。2011年4月からすぐに「もにまるず」をつくるクリエイターとしての活動を始めた。これを書いている今は2017年6月。大学を卒業してからは満6年の月日が経った。

大学時代のことはすでにブログに書いていて、2013年10月に「もにまるずヒストリー」という本にまとめた。その後のことを書かなければと思いながら、ずっと書けずにここまできた。学生時代の話は時系列に書けばわかりやすいし、自分の話ばかりだから書くのは比較的簡単だった。卒業後の話となると、仕事になったわけだから自分だけの話ではないし、出来事も複雑に絡んでいて、なかなか書くのが難しかった。

なによりも、書く時間がなかった。「忙しい」という言葉は日常でもSNSでもほぼ使わないようにしているけど、特に2013年からは控えめに言っても「忙しかった」のだと思う。というか、当たり前だけど、書くことよりも他のことの優先順位が高かった。

そんなこんなで「もにまるずヒストリー」を書いてから4年が経ち、今になってしまった。
4年も経てば考え方は変わるし、本当にどんどん記憶が薄れてしまうので、少しずつでも書いていかないと永遠に忘れ去ってしまうような気がして、書かなければという思いが強くなってきた。

過去を語らずにどんどん進む人はクールでカッコイイ。でも自分は過去のことを大切にして、できる限り記録に残して、そういうバックグラウンドも含めて、活動全体を作品としていきたいと考えている。

「現在が一番大切だ」とか、「これからの未来に何をするかが重要だ」とかすごくわかるし実際にそのように行動をしているけれど、同じくらい「過去」も大切だと思う。自分にとっては「過去」の話でも、後輩にとっては「未来につながる」話かもしれない。かっこよくなくても、泥臭くても、過去を記録していく姿勢はやっぱり自分にとって大切だから、少しずつでも書き始めていこうと思っている。

さて、言い訳めいた前書きが長かったが、この季節になるとやっぱり思い出すのは、もにまる工房が始まった頃のことだ。

最初の工房は2DKのアパートだった。普通の賃貸物件だ。6畳のフローリングが一部屋、同じく6畳の畳の部屋が一部屋で、4畳程度のダイニングがあるような、ごく普通の2DKだ。ダイニングとお風呂場は物置になっていた。

この物件を借りたのは実は大学4年生の9月頃だった。とある場所からの帰り道、父と車に乗っていて「今、何に一番困っているか」と聞いてきた。「場所だね」と答えた。そのまま不動産屋に直行して、不動産屋さんに相談をして、内見をした。そしてその日に契約してもらった。父は即断即決の男だ。父は自営業ということもあり、クリエイター活動(起業)への理解があったからこそ、もにまるずがここまでやってこられたのは間違いない。

学生のときは毎日は使っていなかったけどそこは作業場になっていて、卒業後に本格的に「もにまる工房」になった。

2011年の4月、初めての「もにまるずスタッフ」を雇うことにした。母校の武蔵美に行って貼り紙をした。最近はツイッターでの募集をかけたりするけど、最初は貼り紙だけだった。ツイッターがまだまだメジャーではなかった頃の話だからだ。

最初のスタッフは2人。視覚伝達デザイン学科の後輩。実は同じマンションに住んでいたから、小学校のときに同じ通学班だったこともある。自分が班長で、歩くのがめちゃくちゃ速くて申し訳ないことをしたと思っている。ただ、はやく学校に行って1分でも多くバスケをしたかっただけで、悪気はなかった。もう一人は空間演出デザイン学科の学生で、学校の貼り紙を見てメールをくれた。

まだ、マニュアルも何もなかった頃の話だ。トラやひつじの茶色の顔料を、赤・黄・黒を混ぜて、色を目で合わせていた時代だ。もにまるずを塗る塗料は皿に出すと30~50分で使えなくなってしまう。それなのに、毎回毎回、その三色を調合していた。茶色だけではない、うさぎのピンクも、カメの甲羅の黄土色も、全ての色を毎回毎回、原色を調合してやっていた。すごく効率がわるい。調合だけでなく、全ての効率が今とは桁違いでわるい。今のもにまるずスタッフで、その時代のことを知っている人はもう一人もいない。

この2人は、5月のデザインフェスタに向けて商品を作るための期間限定スタッフだったので、デザフェスが終わったらまた自分一人での作業になった。
その次に、2011年の7月頃、2期生のスタッフが2人入ってくれた。この2人は大学の同級生だ。ちょっとアルバイトを探しているという状態だったので、手伝ってもらっていた。この2人とも、実は学生時代はそこまで一緒にいなかったけど、卒業してから仲良くなったという2人だった。それぞれが大好きな音楽を流しながら、くだらないことを話しながら作っていた。自分が大好きなウルフルズ・ジュディマリ・イエモンなどが大音量で流れていた。
今の「もにまる工房」では、日本語の歌詞の音楽は禁止で、ジャズ・クラシック・ボサノヴァなど、作業の邪魔にならないような曲だけが流れている。
この2人とは半年ほど一緒にいて、就職が決まったなどして、もにまるずを卒業した。

2期生までは、ここから入ってくる3期生とは別枠というか、もちろんお給料はお支払いするけど「お手伝い」という感じだった。3期生からツイッターでの募集をし、面接と試験をして本格的にアルバイトとして採用することになる。いまの「もにスタッフ」の原型が作られた世代だ。
そこから2017年現在に至るまで、たくさんのスタッフが入り、そして卒業していった。現在のスタッフも入れて60名以上だろう。もちろん全ての人がスタッフになれるわけではないから、100人は面接をしてきたと思う。15期生くらいまではカウントしていたが、最近のスタッフはツイッター募集ではなく、個別に入っていきているので何期生とか、そういうのはもう無い。

「もにまる工房」とは、場所だけの話ではなく「もにスタッフ」という美大生の学生アルバイトスタッフを雇って一緒に制作をするというスタイルのことをいう。

スタッフを雇い始めた、なんて簡単に書いたけれど、相当な覚悟が必要だった。

人を雇うということは覚悟が必要だ。
採用して、雇い続ける覚悟。
面談と試験をしてお断りする覚悟。
実は、採用をしないでお断りするほうがずっと難しい。もにまるずを好きで来てくれて、それでもお断りするのは、本当に心が痛む。喩えではなく、胃が痛くなる。

普通の美大卒業生では、人の雇い方なんて知らない。じゃあどうしたか。勉強するだけだ。簡単ではあるけれど、雇用契約書をつくって、労働基準法を勉強して、源泉徴収とかも勉強する。

美大を卒業して、真っさらで何もない状態から活動を始めると、わからないことだらけだ。足りないものだらけだ。

でも、たったひとつのシンプルな考え方でやってきた。

「ないものはプラスすればいい」

人手が足りない?雇えばいい。
雇い方がわからない?勉強すればいい。
雇うお金がない?その分、自分が作りまくって稼げばいい。



簡単ではないけれど、シンプルだ。

起業をすると、まずは何でも自分でやらなくてはいけない。大変だ。
でも、考え方は単純だ。
わからないことは、わかればいいし、できないことは、できるようになればいい。

こうして始まった「もにまる工房」と「もにスタッフ」制度。

なんとなく涼しさが気持ちいいこの季節になると、大変で苦しくて、根性で乗り切って、夜中まで作業して、この2DKは伝説の始まりの時代なんだと自分に言い聞かせて、壮大な夢を見ていた2DKを思い出す。



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