2013年1月13日日曜日

もにまるずヒストリー11:芸術祭後、暗闇の3ヶ月から学んだこと

今回のお話は「もにまるずヒストリー」というよりも渡部学ヒストリーですが、大事なので書いておきます。
ここからが「もにまるず」のひとつの分岐点となりました。

大学3年生の芸術祭を終え、The sixに出展。その後もいくつかの展示に出展。
もにまるずヒストリー10:The six その後

全てが終わって、2010年の1月から学生の特権でもある長い春休みに入りました。でも、もうボロボロでした。12月〜2月の約3ヶ月間、作れない、無気力、なにもしたくない。なにか悪い事があったわけではないのに落ち込んでいるような状況でした。
なにもできない、暗闇の3ヶ月がやってきたのです。

2007年に大失敗の「100ANIMALS」の展示をし、納得のいかない展示が悔しくて一年かかてリメイクして生まれた「もにまるず」。その時の悔しさ、作品をたくさんの人に見てもらいたい、認めてもらたい、もう一年生の時とは違うんだと自分に言い聞かせたいとか、いろいろな思いを抱いて狙いにいった芸術祭ムサビエンナーレ。

芸術祭での展示の準備をしている時は、最高に楽しいものでした。いつまでも続けられると思いました。でも一区切り付いて、落ち着いてみると、からっぽになっていることに気がついたのです。
何をしたいのか、わからなくなっていました。

なぜそうなったのか。

ムサビエンナーレで一位に「なる」。
The sixに「出る」。

いつの間にか、それが達成されたら何かが変わると思っていたのです。

なにかに「なる」。
なにかを「する」。

変化が起きているのはそこまでの過程であって、「なった」「した」ときに急に実力がつくわけでもなく急激に何か起きるわけでもありません。

例えば、資格をとる。全国大会に出る。
それらが達成された時に特別に何かが変わるわけではないのだと気がついたのでした。
そんなことは、誰でも言ってることですし、いろんな本にも書いてあります。でも体験してみてはじめて意味がわかったのです。

あと、目標が達成された時の反動というものも初体験だったのです。

「目標を一点に定めること」が悪いというわけではありません。
ぎゅっと狙わないと突破はできません。ただそのぶん反動がデカいのです。
何かをすれば必ず反動はつきものだと知識としては知っていても、「達成された時の大きな反動」そのものが初体験だったのでした。大学受験合格の後の反動の比ではありませんでした。
3年間もこんなに何かをつきつめてやって、達成したのなんて初めてだったのです。

たかが学園祭で?と思う方もいらっしゃるかも知れませんが、美大生にとっての芸術祭はそれほどの魅力があるものなのです。

こうしてゆっくり考えてみて、無気力状態になった理由がわかったのでした。

これからは目標に執着しすぎないようにしよう、達成しても止まらずに動き続けるようにしよう、と学んだのでした。


原因がわかってもすぐに治るわけでもないと思ったので、無理することなく動きつつ、そのまま過ごすことにしたのでした。風邪みたいなもので休めば治るだろうと思って。
実際に少しずつ動いていたら治ってきました。


一年生の時の悔しさと、芸術祭と、もにまるずから解放されました。
もにまるずを作り続けた3年間。あっという間の大きな大きな3年間。
決着はついた。
さらに作るも自由。ここで終わりにするも自由。

すこしづつ元気になり、「もにまるず」という作品をすこし横に置いておこうかと考え始めていました。もにまるずは完成ではないけれど、できることはした。
夢はたくさんある。でも方法がわからない。

もにまるずをお休みしようか。
そろそろ新しいものを作ろうか。

2010年2月ころ、そう思っていました。

しかし、この後、人生の分岐点になる大きな出会いがあったのです。
この出会いがなかったら、就職して、趣味としてもにまるずを作っていたのだと思います。

2013年現在、こうして「もにまるず」の活動をしている仲間との出会いです。
次回はこの出会いと、就活をやめて作家活動を決意したあたりのお話です。


つづき
もにまるずヒストリー12:新たな出会い








2013年1月9日水曜日

もにまるずヒストリー10:The six その後


作品の晴れ舞台、The sixでの展示が無事に終わりました。
もにまるずヒストリー9:2009年12月 選抜展「The six!」

そのThe sixで、若手アーティスト集団TYMOTEさんから展示販売にお誘いいただき、後日、代官山ラフェンテで開催された「POMY」に「CREATOY」を出展。オシャレ空間でした〜!

「POMY」2009.12.12-2010.1.31






さらに3月。六本木ヒルズ「森アーツセンターギャラリー」にて開催された「美ナビ展」にも出展。モーフィングさん主催、ポスターなどのデザインはまたしてもTYMOTEさん。

「美ナビ展」2010.3.12-28







美ナビ展ではThe sixの出展メンバーもちらほら。なんだかすごい光景でした。美大の猛者ども。
美ナビ展は作品選考を通った100人がここに出展できたのですが、さらに出展者から10名ほど選考され、なんと私の作品がオークションに参加できることになったのです。

「森アーツセンターギャラリー」に作品を展示し、スーツを着て夜の六本木ヒルズ52Fのシティービューで作品プレゼンをしたのです。
このことは忘れられません。夜景など見る余裕もない。
森ビルの社長様、森アーツセンターギャラリーの館長様、さらには皇族の方が出席されている前でプレゼンをさせていただくのです。
あのサザビーズ ジャパン 代表取締役様が直々にオークションを運営する中、

「この積み木を傾けると…ほら!転がるんですよ〜!見えますか!?はは〜」

ってプレゼン&パフォーマンス

5リットルの脇汗。
…こんなこともう2度とないでしょう。いや、あるかもしれない。
しかし、緊張した〜。度胸つきました。
オークションで買い手がいらっしゃるか不安だったのですが、1万円スタートのオークションで次々と手があがり、ある方がこの作品を落札して下さいました。嬉しかった〜!
仕事場に飾って下さっているそうです。

なんだか本当にすごい一夜でした。ブルブル。

さて、ここまでが大学3年の春休みのお話です。

今までやってきたことが全て報われた時期でした。
夢中だった。楽しかった。
たくさん嬉しいことがあった。

でも、一点、ある間違いをしていたのです。
実は、それが原因でThe sixから3ヶ月ほど何も作れませんでした。
2月、3月の代官山や六本木の展示も気合いでやっていたものの、本当はもう、ボロボロでした。

ぜんぶが灰色。
作品が作れない。無気力。なにもしたくない。
あと、就活はどうする。


もうすぐ4年生なのに。


ここまで来て、幸運の連続で夢が叶い、様々なことが順調な反面、ある間違った心の持ち方によって、心に大きな影ができていたのです。

暗闇の3ヶ月。

つぎはそこらへんのお話です。
これからの自分のためにも、そういう面こそ忘れてはいけないと思い、記録しておこうと思います。

つづく

もにまるずヒストリー11:芸術祭後、暗闇の3ヶ月から学んだこと






2013年1月8日火曜日

もにまるずヒストリー9:2009年12月 選抜展「The six!」


2009年10月下旬 3度目の芸術祭に「MANABU TOY」として木製玩具作品と「もにまるず」を出展し、来場者による一般投票で決まる展示大賞、ムサビエンナーレ第1位を獲得しました。

ムサビエンナーレを受賞すると美大の選抜展The sixに出展することができます。

それは1年生の時からの憧れでした。

The sixの設立当初は東京6美大の選抜展だったので「The six」だったようですが、徐々に参加校も増え、私が出展できることになった第3回目には全国から出展者が集まる選抜展になっていました。

芸術祭は11月に終わり、The sixは12月上旬です。期間は一ヶ月です。
その展示に向けてもう一度作品の見せ方を考え直しました。
もにまるずの見せ方はほぼ同じだったのですが、木製玩具の見せ方を大幅に修正。

芸術祭は楽しんでもらうための展示でした。簡単に言うと盛り盛りな印象です。芸術祭に合わせてインパクトを重視し、すこしユーモアを入れた作品タイトルやキャプションだったのです。

The sixでは作家として見てもらえるように、少しトーンを落ち着かせ、今回の展示に合うような品のあるトーンに変更しました。

展示する場所や見てもらう人、また展示の目的に合わせ、同じ作品でも見せ方を変えることはとても重要です。

ちなみに展示台ごと自作しました。段ボールと紙だけで折りたたみの式の台を作りました。台も作品の一部です。この展示のために作りました。

搬入中はとにかく緊張していました。
搬入日は一日。忘れ物をしたらアウト。憧れの展示だっただけにプレッシャーがすごい。
何回も何回も確認。車を運転しながら泣きそうでした。緊張しすぎて泣きそうなのは人生初。正直、はやく終わってほしかったです。

THE YELLOW MONKEYを爆音で聞きながら首都高を走ったのでした。

ぐしゃぐしゃの「100ANIMALS」を作った2007年11月。
それから2年。いろいろありました。

とにかく作りました。
そして、たどり着きました。


2010年12月。「もにまるず」は全国選抜展The sixに出展してきました!


2009年12月10日〜13日 「The six」 四谷 アートコンプレックスセンター




冊子を制作





 The sixは芸術祭とは違い、落ち着いた展示だったものの反応は良いものでした。
もにまるずはもちろん、木製玩具シリーズ「CREATOY」(クリエイトイ)も好評でした。

やりきりました。

夢にまで見た展示に出展できたのです!

家族、親戚、友人、予備校の先生、様々な方をお招きし作品を見ていただきました。
作品の晴れ姿です。

続けてよかった。
毎日毎日毎日毎日、作ってよかった。

ここに出ることを、誰よりも強く望んでいました。

いい作品をつくりたい。たくさんの人に見てもらいたい。

ムサビで1位になり、トップレベルの学生が集まる「The six」に出たい。

一年生からの夢が叶った瞬間でした。
ここまで連れて来てくれた、もにまるずに、感謝しました。




もにまるずは、この時期に新しい大きな出会いがあり、ここから大きく展開していくのですが、それはまた別の回に書きたいと思います。

次回はもにまるずはちょっと出てきませんが、The sixその後のことを少しだけ。
もにまるずヒストリー10:The six その後

2013年1月6日日曜日

もにまるずヒストリー8:2009年10月 3度目の芸術祭!!

2009年7月。もにまるずはついにニューヨークへ行きました。

帰ってきたらもう夏休み。夏が終わればあっと言う間に芸術祭。
必死に作りました。さらにもにまるずのリメイクをしたり、新作の木製玩具の制作です。

なぜ木製玩具かというと、2年生で積み木をつくる授業があり、そこで木製玩具に大ハマり。naefというスイスの玩具メーカーを知り、憧れて憧れて自分でも作りたくなったのです。
木工はできないので図面を描いて知り合いの木工職人さんにお願いして制作しました。

芸術祭の準備とは別に、この時期からもにまるずの委託販売も始めていました。
いつも行っている美容院さん、埼玉の名栗にある旅館内のショップ、ハンドメイド雑貨のweb通販のサイトさんなどです。

委託や通販などを始めた理由は、今回の芸術祭の展示では販売ができないので、芸術祭で見た方がもにまるずを買える状況を作っておきたかったからです。

前置きはこんなところにして、さあ、やってきました芸術祭2009!


3度目のもにまるず!
21歳、渡部学。
全力です。
卒業制作並の作品を作るつもりでやりました。

こちらが展示風景!
展示名は「MANABU TOY」
渡部学のおもちゃ展です!




もにまるず 2009

あの「100ANIMALS」はここまで育ちました


木製玩具シリーズ




全力で作りました。今までの全てを出し切って。

今回の芸術祭の目的はなるべくたくさんの人に作品を見てもらうこと。
たくさんの人に作品を「いい!」と思ってもらうこと。
そして気に入ってもらえたら芸術祭の展示大賞を決めるムサビエンナーレに投票してもらうこと。

とにかく入賞したくてしたくて。
一年生のときからの憧れの賞です。

過去の受賞はほぼグループ展なんだよ、と友人から聞きました。
やはり展示の規模が違うし人数が多いほうが投票が有利だからだそうです。

でも負けるわけにはいかない。そのために色々考えていきました。
展示場所、最も人が通る場所、12号館1階ロビー。
この場所を選んだ理由は、学校の中心的な位置にあること。
また、初めてムサビに来た人の場合、どこに入ったらいいかわからくて結局たどり着いてしまう場所なのです。初めて見る作品が「MANABU TOY」になるという算段です。

それだけじゃダメ。
作品の良さをしっかり伝えないと。

どんな組織票よりも来場者さんをたくさん見方に付ければ勝てる。

そのために4日間、展示場所にずっといました。
この年はムサビ何周年とかで4日間の芸術祭でした。

来場者さんに説明をしました。もにまるずの説明、木製玩具のパフォーマンス。

置くだけじゃ展示じゃない。伝わらなければ意味がない。
言葉で説明するのは野暮でも、伝わらない作品は意味がない。
楽しい作品なんだから、楽しんでもらう。
だから説明をしました。パフォーマンスをしました。


それはすごくお腹減るし疲れます。
でも、そのかいあってたくさんの、本当にたくさんの方に見てもらえて、たくさんのコメントを頂きました。

この時から、卒業制作や、今のデザフェスでもやっている「声をかけて、作品を体験してもらう」という手法を確立したのでした。

たくさんの人!!嬉しい!!

4日間、ひたすらプレゼンテーション。
ひたすら。

投票はボードにシールを貼る形式なので、「おにいさん!めっちゃすごいですね!」って言ってもらったら「ありがとうございます!ぜひあそこのボードにそのシール貼っちゃって下さい!全部貼ってもいいっすよ〜(笑)」ってな感じで地道に促す。

たまっていくシール。順調。

最終日、芸術祭執行部の友人から「まなぶ、結構きてるっぽい」

まじか!!(実は結構良い線いってると思ってた)

17:00 投票が閉め切られる時間。

入賞者には電話が来るシステムなのです。
2年生の時もドキドキしてたけど、もちろん電話はきませんでした。


ドキドキドキ…。いてもたってもいられません。

でも、できることは全部やった。
作った。
伝えた。

数か月前から受賞のイメトレもやってる。(ガチで)
受賞のイメトレで泣いた。(本当に)





17:15頃、、電話が鳴った!!!









「渡部さんですか?入賞しました!おめでとうございます!!第五会議室にお越し下さい!」


きたーーーーーーーーー!!!!!!

急いで第五会議室へ。
すました顔して授賞式の説明を受ける。部屋をでる。


そっこーで家族、友人に電話!

「とったーーー!!授賞式きて!!!!!!!!!!!」

授賞式。
一度帰った家族がもう一度、一時間かけてムサビに戻って来てくれました。
同級生が集まってきてくれました。

授賞式、めちゃくちゃ寒かったのに、ありがとう。

今年の投票は三部門ありました。
おもしろい!と思ったら「おもしろい賞」に投票
かっこいい!と思ったら「かっこいい賞」に投票
最高だぜ!と思ったら「最高賞」に投票

運命の結果発表。

おもしろい賞 第1位「MANABU TOY」
かっこいい賞 第3位「MANABU TOY」(うろ覚え、たしか3位か2位)
最高賞    第1位「MANABU TOY」

そして、総合第1位 「MANABU TOY」

ついにやったのです。

あの「100 ANIMALS」から2年。
ムサビ芸術祭の1位になったのです。

感無量。

やったね!

搬出の前に友人たちと一緒に撮った写真。
ガラスのトロフィー、賞状、賞品、花束。

みんなfacebookやってない人ばかりなので顔は消しておきますね


みんなが「トロフィー汚せ〜」って手でベタベタさわってきて指紋ベタベタ。でも拭かないで今もそのままベタベタの状態で大切にしまってあります。



おつかれさん


休むヒマもなく、晴れて全国の美大が集まる選抜展「The Six」に出展できることになったのです。

つづく




おまけ
芸術祭の早朝
そうじの職員さん







2013年1月5日土曜日

もにまるずヒストリー7:もにまるずニューヨークに行く

ヒストリー6は熱かったので少し冷ましましょう。
もにまるずヒストリー6:グループ活動から個人へ。そして芸術祭に決着を

ひとりでしっかりと納得のいくものをつくろうと決めた大学三年生。

良い知らせがGift Of Somebodyから。
2009年7月、ニューヨークでグループ展示ができるとのこと。

その話を決めてきたのはグループの主宰の岩井くん。謎なくらい顔が広いし、めちゃフットワーク軽い。熱い男。

まじか!ニューヨークか!海外だ!そりゃやべえな!海外となりゃ話は別!なにがなんでも参加っしょ!
すかさず参加表明。

準備は一ヶ月ほどでした。やばい。
芸祭で展示したもにまるずは、早くも手直ししたくなっていて、このままでは出せない。
2年生の自分、ぜんぜんダメ!何が完成しただよ、このクオリティで。
直そう!

ということでパッケージやディスプレイの方法を再検討しました。
今やっておけば10月の芸術祭のためにもなるし、という考え。
もちろん自分もニューヨークへ行く!(初海外)
急いでパスポートを発行。

さあ、リメイクだ!

パッケージを100種をリメイク!(もちろん手作業)


もにまるず100種も塗り直し!

ずらっ
ディスプレイケースをアクリルで作ろう!
ニューヨークでの販売用フィギュア!


さぁ、手直しはできた!
残り一週間、さあ送ろう!

とは、簡単にいきませんでした。
海外にデカいものを送るのがめちゃくちゃ苦労しました。




小さいものならわりと簡単です。デカいと梱包から大変です。飛行機に乗せるとどれだけ雑に扱われるかわかりません。日本の宅配はとても丁寧なほうだと思います。
ヤマトの美術便だと超お金かかるから、普通便で。でもデカいから受け付けない所もあるんですね。書類もめんどい!ぜんぶ英語!

一週間だから時間ない!
ギリギリまで作ってた自分が悪いけど。
電話やネットでやっと送れる所を見つけて、書類も揃えた。おっけー!

一応、集荷のお兄さんに確認
渡部「このサイズ海外に行けますよね?測ってください!」

集荷のお兄さん「いや、はい、大丈夫です!お預かりします!」

渡部「いやいや、測ったほうがいいですよ。」

集荷のお兄さん「いえ、これなら大丈夫です!」

渡部「まじか!やったー!」

次の日。
ピンポーン。

なんか、すごく嫌な予感。

集荷のお兄さん「すみません、これウチでは送れなかったです…。」

声にならない気持ち。焦り。怒り。

渡部「いやだから昨日測って下さいって言ったじゃないすか(笑)はい、もういいっす。はい。」

後で一人で全力で怒りました。やばい…。
でも怒っていても荷物はニューヨークに届かない。

さらに違う会社を探します。
ヤマトさんに電話してもできないと言われ…でも電話対応の担当さんが親身に相談に乗ってくれて海外発送できそうな他社さんを紹介してくれました。涙。
最終的にはフェデックスになりました。

書類オッケー!
でもベビーパウダーを送るだけでも薬品用のわけわからん書類が必要でした。
とにかく、めんどい!

でも、できた!
送れた!
これで晴れてニューヨークへ行ける!

さあ、もにまるず、行ってきましたニューヨーク!!


アメリカー!


展示させていただいたのは、ニューヨークのブルックリン。
ヲウチギャラリーさんという所です。



じゃーん!もにまるずin ニューヨーク!


泊まったホテル
夜こそニューヨーク

ニューヨーカーは果物をむしゃむしゃしながら歩いていました

展示自体はこじんまりした感じだったのですが、海外に作品を展示できた事は貴重な体験でした。
何よりも海外にデカい作品を送るのは超大変です!
厳重に厳重に梱包したのですが、ニューヨークで開封したらアクリルケースが結構壊れていました。現場で直しました。
海外輸送こわい。
ほんと、良い経験でした。



次はついに大学3年生の芸術祭、全力で作りたいものを作り、全力で展示したお話です。

つづく






もにまるずヒストリー6:グループ活動から個人へ。そして芸術祭に決着を

学生アートグループ「Gift Of Somebody」と出会い、最高の展示ができた2008年12月。
もにまるずヒストリー5:学生アートグループGift Of Somebody との出会い

それから2009年1月、2月、3月、Gift Of Somebodyは激動の日々でした。
ライブハウスでのコラボイベント2連チャン。そのときはフライヤーをデザインさせてもらったり、友達とGift Of Somebodyのロゴデザインをやったり。
その後はみんなでフリーペーパーを作ったり。フリーペーパーではデザインリーダーみたいなことをやらせてもらいました。激務でしたが楽しかったです。毎日夜中も朝方もメールが飛び交う。みんな夢であふれていました。
真剣だったからこそ、展示方法をもっとこうしようとかフリーペーパーをもっとレベル上げようとかオブラートに包まずガンガン言っていました。
置くだけじゃ展示じゃないよ!はっきり言ってぜんぜんダメ、みたいな。今考えると、申し訳ないくらいトゲトゲしく言っていたと思います。自分の力の無さもあるのにね。
ちゃんと受け止めてくれた運営メンバーのみんなは優しい。ありがとう。

2009年1月26日
「Parallel Box1」@渋谷aube
渋谷に進出もにまるず
うさぎTシャツやカバのTシャツも作りました

2009年3月18日「Parallel Box2」@渋谷Plug




2年生の春休みはGift Of Somebodyと共に活動しました。
でも、もともと一人で作ることが基本なので3ヶ月も人と一緒に作っていると、もちろん自分のものはなかなか作れないし、毎回イベントに出るのも大変で少し疲れてしまったのです。ライブハウスで販売する用にTシャツをデザインしたり、イベントフライヤーを作ったり、フリーペーパーを作ったり、みんなで作るのは楽しいけど、もっと一人で突き詰めて作りたいものが出てきてしまいました。
そこで一旦グループの第一線で活動するのはやめさせてもらったのです。
グループを抜けたわけではなく、中心から外れたという感じです。
とても熱く、楽しく、濃い3ヶ月でした。忘れません。

2009年4月。
春休みが終わり大学三年生になりました。
今までを振り返りました。

大学一年生の芸術祭は失敗したけど一人で展示をした。
大学二年生の芸術祭はグループ展だった。春休みはGift Of Somebodyでみんなと燃えた。
さて、大学三年生、もう一度、一人で頑張るときじゃないか?
と思ったのです。

一年生の芸術祭は最低だった。本当に力が無かった。
でも憧れていた、ムサビエンナーレ。
現在では展示大賞と言われているものです。
それは芸術祭の展示の一位を投票で決めるもの。雲の上の存在でした。
二年生でもその賞に手は届くはずもなかった。もにまるずの完成で精一杯だったからです。

さて、三年生、作りたいものはたくさんある。今なら作り方もわかる。
もにまるずの他に、木製玩具を作りたい。
もにまるず も、もっとパワーアップさせたい。

一年生の時の、あの悔しさは忘れていない。
当時の大失敗を引きずってしまい、どんな作品でも展示する前はいつも怖くて怖くてしょうがなかったのでした。
間に合わなかったらどうしよう。自分の作品のクオリティが低いんじゃないか。
尋常じゃない恐怖がいつもつきまとっていました。

全てを注ぎ込んで一年生の時の自分に決着をつけようと決めたのでした。

今なら作れる。一年のときよりもずっと、作れるようになった。

狙おう決めました。

ムサビ芸術祭の、憧れのムサビエンナーレをとろう。
やりたいことを芸術祭でもう一度全部出し切ろう。
全力のぶっちぎりの作品。
卒業制作並の展示にしてやろう。
めちゃくちゃ楽しんで作ろう。
めちゃくちゃ楽しいものを作ろう。
そして芸術祭の上位3組が出展できる全国選抜展THE SIXに出よう。

かたく、決めたのでした。

つづく
もにまるずヒストリー7:もにまるずニューヨークに行く


もにまるずヒストリー5:学生アートグループGift Of Somebody との出会い

大失敗の2007年大学一年生の「100 ANIMALS」を一年かけてリメイクし、やっと見せられるカタチにして展示した2008年「もにまるず」。
もにまるずヒストリー4:2008年11月 芸術祭!「もにまるず」登場!

その芸術祭3日目の最後、2人の男子大学生がやってきて、展示をじっくり見てふたりで何やら話しています。
どちらかというとコソコソ話してる感じでした。
「これ…いいよね」「うんうん」みたいな。

その2人が話しかけてきました。名刺を出しつつ。
お、これ何か来たんじゃね?と期待する私。しかし、平然を装う顔。

「僕らGift Of Somebodyという学生アートグループをやっています。こんど原宿で学生を集めて展示をします!学生でこんなふうに商品を作ってお店みたいにしているなんてすごい!ぜひ出展して頂けたらと思っています!」
と、熱い2人組。

ほんとはもっと熱くたくさん語ってくれたのですが。
とにかく、展示を見て感動したという事を熱く語ってくれました。
みんなでこういう展示がしたい、やりたいことを全部やっている、と言ってくれたのです。

彼らは横浜市立大学の有志で学生アートグループ「Gift Of Somebody」を立ち上げ、「いい!」と思ったものを世の中に発信して行こうという熱い想いを持った人たちでした。
ムサビ、タマビ、芸大の芸術祭に行き、展示してくれる学生をスカウトしていたのです。
後で知ったのですが、各美大の芸祭の他にもさらにmixiでメッセージを送って学生をスカウトしていたのです。すごい行動力。

ほんとに熱く、何度も「ぜひ出展してください!」と言ってくれました。
でも芸祭の時間も残りわずかになってしまっていたので「また連絡します!」と、彼らはさらなるスカウトをするべく帰っていきました。

嬉しい、けどよくわかんない!でも嬉しい!という気持ちでいっぱいでした。

メールでやりとりした後、渋谷の公民館で説明会が開かれ出展者の顔合わせ。
2008年12月20〜26日 原宿デザインフェスタギャラリーにてGift Of Somebodyの記念すべき第一回展示「Birth」が開催されることになりました。

もにまるずがムサビの外に飛び出した瞬間でした。

Gift Of Somebody「Birth」の様子はこちら!

もにまるず100種類&うさぎTシャツ
もにまるず
よーく見ると600円になっている。芸祭では500円だったのに。




この展示は運営メンバーが何ヶ月もかけて構想し、作り上げてきた展示です。
展示方法、フライヤー、キャプション、プライスカード、全てに想いがこもっていました。温かい展示でした。今思い起こしても良い展示です。

ここでも、たくさんのもにまるずを連れて帰って頂くことができました。
嬉しかったのは、なんと芸術祭で買って下さった方が原宿にもいらっしゃったということ。リピーターです。
しかも職場の同僚にもあげるからと2日連続で買いに来てくださって!あれは嬉しかったなぁ。

Gift Of Somebodyとの出会いはとても大きなものでした。
学校の外で作品を見てもらうきかっけを作ってくれました。
彼らは作品を心から気に入ってくれて応援してくれました。

展示した仲間たちも最高で、今でもたまに会っては熱く語っています。

Gift Of Somebody、最高の思い出です。
Gift Of Somebody ウェブサイト

つづく
もにまるずヒストリー6:グループ活動から個人へ。そして芸術祭に決着を