2014年1月30日木曜日

自分より上手な人がたくさんいるのに、自分が作る意味

作っていて誰もがきっと思うこと「これは自分が作らなくてもいいのではないか?」

自分よりも上手い人はたくさんいる。
自分よりも面白い作品はたくさんある。
自分が作る意味はあるのだろうか。

こんな考えがふとよぎることがあるのではないでしょうか。

私の場合で言うとこんな感じです。
私は主にキャラクターフィギュアを作っています。
でもフィギュア造形の専門家ではありません。超絶技巧の造形師さんはたくさんいます。
キャラクターデザイナーでもありません。そこまでの数を作っていません。
イラストレーターを使って平面の制作物もやるけれど、グラフィックが得意なわけでもない。
文も少し書くしマンガも描いて本にするけれど、本を作る知識もほとんど無い。

あれ、自分は何なの?
全ての面で自分よりも優れた人がたくさんいるのに、どうして作るんだっけ?

こんなふうに思うことがあるかもしれません。
私は、思います。

そんな時は原点に帰ります。

「そもそも他の誰かより上手なことなんて一つも無かった!!」

誰かの作品に感動して、憧れて作り始めたんだろう。
誰からも頼まれずに、下手くそな自分が勝手に作り始めたんだろう。
それでも、お客さんではいられなくなって、自分が勝手に作り始めたんだ。
そもそも比べること自体が間違ってる。
聞きかじっただけの市場の分布図みたいなのに自分を当てはめてもしょうがない。
そこに入れる位置にいないんだから大丈夫。
やることは、作る、形にする。それだけ。

興味のあること、少しだけできること、ちょっと得意なこと。
そういったことの少しずつの掛け算で作品を作り上げる。あと、それを形にする意思と体力と。

「これは自分が作らなくてもいいのではないか?」に対しては「そうだね、作らなくてもいい」と言えます。
もともと存在しないものなんだから、無くても誰も困りません。そもそも無いのですから。

でもそれを作ることで自分が楽しめたならば、まずはそれで十分意味があったと言えるのではないでしょうか。

それを作って一人でも喜んでくれたなら、なおさら作った意味があります。
そもそも何も無かったところから、喜んでくれる人が1人生まれたのですから。

大学時代、もともとは一人で作っていた「もにまるず」。自分が楽しいから作っていました。次第に「売ってもらえますか?」ってメールが来て、その都度1個ずつ作って学校で受け渡しをしていました。
はじめは自分が楽しいから作っていて、それで喜んでくれる方がいるので、追加で作りました。それだけです。

今は何百個、何千個と作るけれど、作るのはやっぱり1個ずつ。
楽しいから作っています。それで喜んでくれる方がいるのでたくさん作っています。

1人や1個?そんな少しじゃ意味ないなんて思っていたら、百個も一万個だって意味ありません。大切なのは1人です。1個です。

そもそも「無かった」ものを作って、自分でも他人でも何かしらの感情や関係性が変化したのなら、自分が作る意味があると思って作っています。

作ります。


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